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某魔法学園に生息する『瀕死の黒妖精』の背後ブログ。中身がダダ漏れ超えて、もはや剥き出し。       *この中ではPC様同士の面識があれば横レス可とさせて頂きます。
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黒妖精と違って、のんびり平和に生きてきた「へたれ」。
自称「物書き」だけど、単なる趣味。
2キャラ稼動で、バタバタと遊んでおります。
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こういう話をこういう所でするのはどうかと思う節もあるのですが、
実は自分、今年に入ってから既に5回程、喪服に袖を通しています。
直属の上司のお父様だとか、お隣のお家の旦那様だとか。
どれもこれも、親しいといえる程の間柄でないことだけが救いなのですが、
とにもかくにも、回数が多い。
喪服のクリーニング代やら志やらで、
一体いくら飛んで行ったのかとか…考えちゃいけないけど、ちょっと恐ろしいという現実。
で…それだけ弔事の席に出席していると、
当然それだけ坊様の説法を聞く機会が出てくる訳なのですが、
坊様のお話というのは、個人的には、意外と面白いと思っています。
別に宗教に傾倒する訳ではないのですが「あぁ、そういう捉え方があるんだ」って思ったり
「こういう考え方は、仏教もキリスト教も似ているのだな」とか思ったり。
中学生くらいの頃は「何を偉そうに」とか思っていたのですけれどね(笑)
5月の末頃でしたが、お一方の“色即是空”のお話が面白くて、
娘の方で日記のネタにさせていただいたりとかもしました。

四十九日の法要を行う意味についての話だったのですが

 ・「悲しい、もう駄目だ」と思っても四十九日くらい経つと、落ち着いてくるものだ
 ・悲しみに直面した時、時にはその悲しみに浸るのも人の心を癒す手段である
 ・「喪に服す」という言葉が示す通り、
  四十九日の間は、周りの者も騒ぎ立てずに、静かに遺族を見守る
 ・四十九日の後は、悲しみに区切りを付けて、また前を向いて歩き出そう

要約するとそんな感じでした。
そこからさらに発展させて、
「死別のみならず、悲しい思いをした時は、
 『まだ悲しみが癒えない』と嘆くのではなく、まずは四十九日、待ってみよう」と。
近代はとかく情報のやりとりが素早くて、
何かをしたら、すぐに効果が現れる…という状況に慣れてしまいがちであるが、
人の心というものは、そうではなく、時にゆっくりとした時間が必要である…と。
「自分の悲しみが癒える時間を待つ」「相手の悲しみが癒える時間を待つ」
そういう「待つ」時間として、まずは四十九日を一区切りとして辛抱してみなさい。と。
そんな内容のお話でした。

自分なんかも仕事の上では、とかくクイックレスポンスが必須の人間で、
時に、分単位でのアウトプットを求められる事もあるのですね。
学園では遅レスが常態化していますが…(汗&土下座)
でも、人の心はそうじゃないんだよ…と。自分自身も、他人も。
いつまでも立ち直れない自分に苛立つのでもなく、
励ましの言葉の届かない他者に苛立つのでもなく、
「落ち込んでいる」という状態を、まずは四十九日くらい辛抱してみようかな…とか。
そんな事をつらつらと思った次第なのでした。

なんか、楽しくもない話題で、お目汚しを失礼しました(平伏)

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