色々と難しいなぁ…って思います。
人の育ち方というのは、それぞれ全然違って…。
例えば自分の親であれば、厳しい部分は厳しかったし、
ある一時期、どうしても関係が上手く行かなくて、苦労した時期もありました。
思春期、反抗期という言葉で表現するには、少し激しかった…かな…とか。
思い出すと吐き気のしてくるような出来事も、いくつもあります。
でも、結局は“マトモな親”以外の何物でも無いんじゃないかなぁ…。
それに、周りの大人も、結構温かい目を向けてくれていた。
間違いなく恵まれた環境で育ってきた方なんだろうなって思います。
自分は今、ちょっとした専門性を要する仕事に就いているのですが、
その専門を選ぶにあたっても、周りの助力は少なくなかったかな…と。
好きだった科目、得意だった教科。それが長じて今の専門性に繋がっているのですが、
一番最初に、自分のそういう方面への芽を伸ばしてくれたのは親でした。
興味を示す分野の本を与えてくれましたし、
自分がその教化で、悪くない成績をおさめていくのを、誇りに思ってくれている節さえあった。
学校の先生や塾の先生も、自分の得意な教科を認めてくれて、
「さすが」とか、色々な言葉を掛けてくれた。
つっても、別に「普通」の領域は出なくて、「ちょっと得意」な程度ですが。
でも、そうやって褒めてもらうことで、自信をつけることができましたし、
そうやって伸ばしてもらった能力が今の仕事に繋がって、
専門家集団の一員として生きる力に繋がっているんじゃないかな…とか。
仕事場でだって、ど叱られたり、自分のミスに凹むことはありますが、
まぁ、何だかんだ言っても、周りの人が助けてくれたり「有難う」と言ってくれる。
時折はマグレのように上手く行って、周りに驚いてもらえることもありますし。。。ね。
別に特別な扱いをされた訳ではないですが…ね。
たくさんのものを、親や先生から貰ってきたんだなって思います。
貰いすぎて、ちょっと自信過剰かもしれない。。。とかいう説もありますが(苦笑)
「要するに母親とて、1人の不完全な女なのだ」
結構好きな漫画家の、あるオムニバス作品に出てきていた言葉です。
そろそろ親が自分を生んだ年齢に近づいてきて…
「あぁ、親もこんなもんだったのか」って思います。
親とて完璧じゃない。不器用さも弱さもあったんだ…と。
それが原因で確執に繋がったことも少なくないでしょうが…
それで親を責めるのは親に完璧であることを求めるようなもの。
今の自分に、そんな完璧を求められてもできる訳が無いですし…ね。
親の不器用さ故に生まれた確執と、それで得た「吐き気のするような思い出」。
そればっかり見て、育ててくれた愛情とか、与えてくれたものとか無視して
「アンタのせいで、アタシはこんな風になったのよ」とか…。
逆の立場だったら、どうなるのかなって思います。
自分の不器用さをそんな風に責め立てられたら、どう思うのかな…とか。
「欲しかったものは手に入れたわ、何もかも」
実際の歌では、自嘲的な意味合いで歌われるフレーズですが…
自分としては、欲しいものは大概手にしてきたな…と。
もちろん、手に入らないものもゼロじゃないですよ~?
自分の生き方自体が、サイレント・マイノリティーですから、
メジャーという生き方とか、富豪レベルの大金とか。流石に手に入りません。
でも、うん。
設計者という地位とか、経済的な自立とか趣味の時間とか。
欲しかったものは、みんな手元にあるなぁ…と。
幸せだと思うのです。間違いなく。
今週も来週も、頭の中には楽しいプランがいっぱいだし…。
冗談に笑ってくれる友人も、いて…。
なのに、何ででしょうね…
人は何かと「不幸であろうとする」らしいのです。
ちょっとだけ…
「ごめんなさい。疲れました」と。
大会終わって、気が緩んだのかな…とか。